小 林 敏 明「 暴力と社会の起源を求めて」を読む(1)

小 林 敏 明「 暴力と社会の起源を求めて」がフロイトの暴力論と死の衝動の理論を考える上で、興味深いので、読んでみる。

 

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暴力と社会の起源を求めて

――今村仁司の切 り拓いた も の――

 小 林 敏 明

 

 ■今村の暴力論とフロイト

言葉がもつ と も無力化するのは暴力と死を前にする と きである。 独自の暴力論の開拓に献身してきた今村仁司の突然の死を前にしてふさわしいのは, だから唯一沈黙だけであるかもしれない。 だが, このことはなにより今村自身がその生涯を通じて格闘しなければならなかった本質的なジレンマであったことを思うと, 訳知り顔の沈黙もまた故人に対して礼を失する。今は駄弁を知りつつも今村の拓いた道を自分なりに跡付けてみよう。

力と暴力, 闘争と戦争といった文化現象は社会科学と社会哲学にとって避けて通ることのできない根源的諸問題だといわなければならない。 なぜなら, それらの現象は社会形成と社会体の運動や歴史の基礎にあるものであり, 単なる逸脱的病理現象ではないからである。(『暴力のオントロギー』p.1)

 

『労働のオントロギー』 と並ぶ, 今村社会哲学の本格的開始ともいうべき 『暴力のオントロギー』 の冒頭はこう述べていた。 この今村による暴力現象への着眼とその主題化は, 小は子供のいじめから大は世界を巻きこんだ戦争やテロルまで, さまざまな形で噴出する暴力に対して, スキャンダリズムのほか何ら有効な対応策をもちえないまま, ただ右往左往する今日のわれわれの社会にとって, いっそうその重要度を増している。 人類は何千年の歴史をかけて, いまだにむき出しの暴力を克服する道を見つけ出していない。

そういうことを考えるにつけて想い出されるのは, あの二つの世界大戦の戦間期に二十世紀を代表する二人の知の巨人, アインシュタインフロイトとの間に交わされた公開書簡のことである。 このなかでアインシュタインは, そもそもいかにして人類は戦争を回避することができるのかという切実な問いを投げかけたのであったが, これに対するフロイトの回答は, じつに苦渋に満ちたものだった。人間から暴力衝動をなくすことは本質的にありえない。それは唯一文化によって逸らすことができるのみである。 しかし, この文化による逸らしもまた最終的には人間にとって耐えられない次元にまで達するかもしれないというのがフロイトのぺシミスティックな見通しであったからである (フロイト 「戦争はなぜ」 「文化の中にあることの居心地の悪さ」etc.)。

このフロイトと同じように, 今村にとっても暴力は人類にとって避けられない絶対的与件である。しかも今村においては暴力の位置価はさらに高められ,人類の社会,共同体のあるところ, それらは暴力を媒介にしてのみ成立するという。 今村はこれを 「コスモス創成暴力」と呼んだが, 今村が高く評価していたベンヤミンならば「法措定暴力」 と言ったことだろう。いいかえれば, われわれ人類は暴力を通さなければ, その暴力を防ぐ社会や共同体を結ぶことができないという根本的ジレンマに立たされているということである。 今村の暴力論はだから,それが根源へ遡れば遡るほど,その論理の逆説性を先鋭化していくようにみえる。以下にその今村による先鋭化の道行きを具体的に追ってみることにする。

  ■今村とレヴィ=ストロースの出会い

1. 構造主義人類学と暴力

 

今村がアルチュセールの紹介者と して颯爽と 日本のジャーナリズムにデビューしたこ とはよく知られた事実である。 だが, このマルクス主義と構造主義の結合を図る新しい理論への関心は, 今村をたんなるアルチュセーリアンにとどめることがなかった。 彼のアルチュセール解釈はアルチュセールを超えて, さらに構造主義およびポスト構造主義全体への関心を呼び起こし,今村は雑誌『現代思想』を足場に八十年代日本における (ポスト)構造主義ブームの旗手のような役割を務めたりもしたのであった。

ただし, こと今村暴力論にかぎっていえば,重要な意味をもつのはアルチュセールではなく, レヴィ=ストロースの構造人類学との出会いである。 レヴィ=ストロースの功績としては親族構造と言語学的音韻体系との相同性の発見などがよく知られているところだが, 今村のインスピレーションが反応したのは,同じレヴィ=ストロースでも比較的目立たない著作 『アスディワル武勲詩』 に報告された以下のような神話であった。

 

傲慢で冷酷でもあった王女は従兄弟に, 顔を傷つけるこ とによ り 自分への愛情を見せてくれと要求する。彼は刃物で顔を傷つけたが,すると彼女は,その醜さの故に,彼を拒む。 絶望に陥った彼は死のうと思って旅に出, 畸形の王 「悪疫」 の国を冒険する。《悪疫》 は, 厳しい試練に耐え抜いた彼を魅力的な王子に変えてやる。

今度は従姉妹が彼を熱愛するが, 彼は逆に彼女がその美しさを犠牲にするよう求める。(が,それはただ皮肉を言ったにすぎなかった。)醜くなった王女は《悪疫》の同情を惹こうとする。すると, 彼の宮廷に仕える不具の人々が彼女に襲いかかり, 骨を砕き体を引き裂いてしまう。 (『アスディワル武勲詩』p52/3)

 

レヴィ = ス ト ロースがこの小さな神話に婚姻における (女性) 交換システムの失敗を読みとったのに対して, 今村の関心はむしろここに現れている暴力現象の方に向けられる。 今村はこの神話の特徴は何よりも「暴力を中軸に転回する相互性」にあるとし, さらにこの悲劇の中心に立つ王女を相互的な社会関係を維持するための宿命的な 「犠牲/スケープ ・ ゴー ト」ととらえる。 そしてここから導き出される次のような結論が, その後死に至るまで追究されつづけることになる今村暴力論の出発点となったのであった。

 ■ 今村の第三項排除理論

第二の現象は, 二項的相互性の維持のために, 第三項が絶対的に排除される, という社会関係に根源的に内在する論理である。 私はこの現象を 「第三項」 問題と名づけたい。第三項は,二項対立的関係(相互性) を維持したり, あるいは二項関係が危機におちいっている回復を要求したりするときには, 必ず運命的に発生する社会関係の根本動学を示唆する。 第三項は, 相互性の存立のために, つねに必ず, 暴力的に抑圧され, 排除され, あるいは殺害される。 (今村前掲書p29)

いわゆる「今村第三項排除論」の宣言である。今村は以後この社会関係ないし共同体形成の原理としての第三項排除のテーゼを補強すべく, 人類学のみならず文学, 歴史, 社会科学等の分野にもその例証を求め, そこから彼の分野を超えたあくなき知の渉猟が始まる。 この背景には構造主義ブームに平行するように, 当時日本の論壇において文化人類学山口昌男を中心として広がっていった 「中心と周縁」 というテーマ系が働いていたことはあらためて指摘しておいてよい。 フランスのアナール学派が紹介されたり, 今村の専門とした経済思想の分野において 「経済人類学」 なるものが喧伝されたのもこの頃である。 この七十年代から八十年代にかけての人類学ブームの特徴を一言でまとめておけば, マイノリティ,異人, トリックスター,不具者といった「周縁(ペリ・フェリ)」的存在への注目と,それの積極的な意味づけである。だから, こうした流れに乗るかのように,天皇制と周縁の結びつきを実証しながら既成歴史学の転倒を図った日本中世史家の網野善彦の一連の仕事などが一躍注目を浴びたりもしたのであった (これは今村の仕事にも影響を与えている)。

 ■今村とマルクス

だが, こうした周縁論の応用である今村の第三項排除論は,本人も言うように(p231),もともとはたんなる人類学的関心から発したものではない。 彼がアルチュセールの研究者であったことからもわかるように, 着想の本当のきっかけはむしろヘーゲルマルクスにあった。 活動家として六十年代の学生運動にも積極的に参加した今村の思想は当初からマルクスの資本主義批判に決定的に刻印されており, しかも彼があえて第三項排除論の仮説をたてえたのも, おぼろげながらマルクスの言説にそれに類する着想があるという確信を早くから抱いていたからである。

 

レヴィ=ストロースとの遭遇はいわば,そのいまだ明確な形になりきらなかったマルクス解釈の定式化を促進する触媒にほかならなかったのである。 今村にとっても構造人類学が問題としたような言語体系や社会関係さらには共同体一般の成立が問題であったことは確かである。 しかし, 彼の最終的なターゲットはあくまでマルクスの批判した資本主義的な社会関係, すなわち近代市民社会の解析批判であった。 後に彼が 「近代」 という大きなテーマを相手にして少なからぬ著作を残すのも, そのことに由来している (『トランスモダンの作法』 『近代とは何か』 etc.参照)。

 

 ■日本におけるマルクスの商品分析への注目

2. 価値形態論の思想系列

 では, 第三項排除とマルクスの間にどのような関係があるのだろうか。 今村が注目 したのは 『資本論』 冒頭で展開される商品論ないし価値形態論だが, その内容にたち入る前に, 戦後日本思想に果たした 『資本論』 の意味に関してひとつ指摘しておきたいことがある。 すでに戦前の一九二〇年代からこの著作が日本の左翼運動や左翼知識人に大きな思想的影響を与えていたのは言うまでもないことだが, とりわけ戦後思想におけるこの著作の扱いには他の国にない日本独特の現象がみられるということである。それは『資本論』第一巻, しかも冒頭の商品分析に対する異様なまでの注目度である。

 

周知のように,経済学者宇野弘蔵は早くから『資本論』をたんなる資本主義批判の書としてではなく,新たなマルクス経済学の「科学的」原理が語られているものとして解釈しようとした。 なかでも, 冒頭の商品分析に展開される価値形態論は, いわば資本主義的社会関係の中枢をなす「細胞」を扱ったものであるとされ, これを基点に進められた彼の『資本論』解釈は, やがて宇野経済学の 「原理論」 と呼ばれるにいたったのであった (その成果が有名な『経済原論』である)。そしてさらにそれを含む彼の「原理論」「段階論」「現状分析」の三段階構想は, 物理学者武谷三男の自然認識の三段階論と並んで, 少なくとも六十年代までは左翼知識人に少なからぬ影響を与えていたのである。

 

商品を商品形態と して分析するという こと, これが科学と しての経済学の真髄をなす点である。 それは商品の物神性の暴露としては, いわゆるブルジョアイデオロギーの批判にほかならない。 (『資本論入門』p41)

 

宇野にとって, イデオロギー批判が可能となるためには, その批判視点となるべき 「原理」としての 「科学としての経済学」 がまず立てられねばならなかったのである。 興味深いのは,こうした宇野による商品分析の学問的位置づけが呼び水となったかのように, その後それに発するいろいろな思想上のアイデアが生み出されたということである。 そのひとつが廣松渉の「物象化論」であった(『物象化論の構図』『資本論の哲学』etc.)。廣松は宇野経済学を批判的に踏襲しながら, この商品分析から独自の哲学を発展させた。 それをごく簡単に確認しておくならば,個々の商品生産物の価値は,一般に信じられているように, たんにそれに投下された具体的な人間の労働量によって決まるのではなくて, あくまでも商品交換の側から規定されるということである。 商品という実体がそれらの関係を規定するのではなく, 逆に関係の方が個々の商品を規定する という この解釈は, 廣松の場合さ らに敷衍されて, 関係の一次性・物的存在の二次性 (物象化的構成態) という哲学一般のテーゼにまで高められていったのであった。 だから, 主著 『存在と意味』 などに展開されたこの 「関係の一次性」 を基調とする廣松の共同主観論は, もとはといえば, 『資本論』 第一巻の商品分析の独自の解釈に端を発しているということができるのである。

 

同じように商品の価値の関係性に眼を向け, そこから自分の発想を展開していったのが,「私にとって, マルクスを『読む』 ことは,価値形態論において『まだ思惟されていないもの』を読むことなのだ」 と述べた若き柄谷行人であった (『マルクスその可能性の中心』 p21)。柄谷はこの価値形態論にソシュール記号論を導入し, 貨幣という一商品が中心化することによって同一性の世界ないし超越論的な 「価値」 が生まれること, そしてその本来中心に位置する貨幣が「非中心化」されるとき逆に「単純な価値形態」が成立するという仕組みを明かすとともに, さらに商業資本と産業資本の本質を次のように解釈した。

われわれは,商人資本がいわば空間的な二つの価値体系の― しかもそこに属する人間にとっては不可視な― 差額によって生じることを明らかにしたが, 産業資本はその意味で, 労働の生産性をあげることで, 時間的に相異なる価値体系をつくり出すことにもとづいているといってもよい。 (同書p65)

 

この資本主義の命ともいうべき 「剰余価値」 をシステム間の 「差異」 に見ようとする柄谷の着眼は, 経済学ではその後岩井克人などによって引き継がれたが (『ヴェニスの商人資本論』), 柄谷自身はここから互いに異なる共同体どうしの関係や共同体とその 「外部」 といった一般的な問題次元にまで進み, さらにはそれをキルケゴールレヴィナスなどに見られる「他性」 や, ゲーデルの 「自己言及のパラドックス」 といった哲学的問題にまで踏みこんでいったのであった。

私の指摘しておきたいことというのは,今村の暴力論もまさにこうした先行の, または同時代のディスクルスの息吹を呼吸するようにして生まれ, それらが一体となって戦後日本思想においてひとつの特異な流れを形成したということである。 それを念頭に, 以下今村暴力論とマルクス価値形態論の具体的な関係に入っていくことにしよう。 まずは, その『資本論』冒頭に述べられるマルクス価値形態論の内容から。

 ■価値形態論における下方排除」と「上方排除」

第Ⅰ形態 − 単純な価値形態

第Ⅱ形態 − 全体的な, または展開された価値形態第Ⅲ形態 − 一般的な価値形態

第Ⅳ形態 − 貨幣形態

 

 確認のために, 簡単に説明しておくと, 第Ⅰの 「単純な価値形態」 というのは, ある一定量の商品ともうひとつの別の商品との間に一対一の交換関係が成り立つていることである。そしてこれが他のもろもろの商品にも連鎖的につながっていくのが第Ⅱの 「展開された価値形態」 である。 第Ⅲ形態では, この商品の無限連鎖のなかからひとつの商品が選び出され,それがいわばその連鎖全体を代表するかのような位置に押しやられ, 他の諸商品がこの選び出された商品との交換関係によって表示される。 これが「一般的な価値形態」 である。 そしてこの選び出された特権的商品が, さらにもはやそれ自体では使用価値をもたない貨幣という特殊な媒体に置き換えられるのが第Ⅳの 「貨幣形態」 にほかならない。 このなかで今村が暴力論との関係で注目したのが第Ⅲの 「一般的価値形態」 であった。

第Ⅲ形態では, 諸商品が場所を占める位置の相互排除がはっきり と出てく る。 相対的価値形態の位置に立つ諸商品は一般的等価形態の位置から排除され, 反対に, リンネルであれ何であれ, 一つの商品が一般的等価形態の位置を占めるときには, この一つの商品は相対的価値形態から排除される, 位置の相互排除, 非両立性は, すでに原理的には第Ⅰ形態で出つくしているが,商品的社会関係の進展に応じて, とりわけ第Ⅲ形態で相互排除の戦いという相が全面的に現出する。 (『暴力のオントロギー』 p63)

 

今村によれば, ひとつの商品が選び出されるという ことは, 見方を変えていえば, その商品が全体の連鎖系から 「排除」 されることを意味する。 だが, この排除された商品はたんに排除され, 棄却されてしまったわけではない。 そうではなく, それは排除されることによって, 逆にその連鎖系の全体に交換という共通の場を与え, しかも自らはその交換関係を代表する特権的地位を獲得するのである。 このメカニズムは, 今村には, あの人類学がもたらした共同体形成のための第三項排除とまったく同じ事態と映った。 マルクスの分析はむろん経済学に限られている。だが, 今村はまさに廣松や柄谷と同じように, ここに「まだ思惟されていないもの」を読みとろうとしたのである。彼が「マルクスの商品論(価値形態論)のなかには, 社会形成にかかわる根本問題がすべて含まれている」 (同書p65) と述べたのも, そういう意味からである。

ところで, 一般的価値形態において任意の一商品が排除的に選び出されるというのは, ある意味で矛盾である。 なぜなら排除とは, より強く表現すれば, たたき出されることであり,他方選出とは祭り上げられることだからである。 貨幣は排除されながら重宝がられる。 より先鋭化して表現すれば, あたかもあの宗教儀式に使われる贄(にえ)のように,穢れたものであると同時に聖なるものとして扱われる。後の今村の言葉でいえば, 「下方排除」と「上方排除」 である。 あのいまだ根強いイデオロギーとしてのユダヤ拝金主義に対する軽蔑と憧憬 の両価的感情は, あるいはそういう貨幣の存在論的アンビヴァレンツに負っているのかも しれない, とさえ思わされる。 いずれにせよ, 今村のいう排除という事態には正と負のまったく別方向にはたらく両義性が含まれているわけだが, この両義性はまたしても文化人類学的に保証されているのであった。 それは一度有徴化され, 部族からたたき出された人物が, あらためてその部族を支配する王として帰還するという人類学的両義性と同じ構造を示しているからである。