「超自我の発明」:エティエンヌ・バリバールのフロイト論


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「超自我の発明」:エティエンヌ・バリバールのフロイト論Add Star

 

*Étienne Balibar : L'invention du Surmoi, Freud et Kelsen 1922, in  Citoyen Sujet et autres essais d'anthropologie philosophique, PUF,  2011.

 「超自我の発明 フロイトとケルゼン 1922年」は、2006年に行われた「来るべき精神分析」と題されたコロックでの講演に基づくテクスト。

  フロイトとハンス・ケルゼンの公私にわたる交流についてはある程度知られている。日本語で読める文献としては、上山安敏『フロイトユング』(岩波書店) がこのテーマを扱っている。ケルゼンは、1922年にフロイト派の雑誌「イマーゴ」に「国家の概念と社会心理学」と題する論文を寄稿し、その前年に発表さ れたフロイトの『集団心理学と自我の分析』を批判的に論評している。(ケルゼン論文の仏訳は、http://documents.irevues.inist.fr/bitstream/handle/2042/15686/HERMES_1988_2_134.pdf

 バリバールによれば、ケルゼン論文の翌年に発表された「自我とエス」において提出された超自我という概念は、ケルゼンの批判へのいわば間接的な回答になっているという。バリバールは超自我を高度に政治的な概念として読み解こうとする。

 ちなみにバリバールは『集団心理学と自我の分析』を政治哲学の古典と見なしている。

 『集団心理学と自我の分析』が政治哲学の歴史の一部をなし、しかもプラトンの『国家』にはじまり、『君主論』、『リヴァイアサン』、ヘーゲル『法 哲学』、『資本論』、シュミット『政治の概念』を経てアーレントの『全体主義の起源』に至る歴史における一つの転換点を画してさえいることは自明であろ う。

 ケルゼンはその論文において、ルボンのように集団の心理を(「種族の精神」といったかたちで)「実体化」せず、あくまで個人の心理の問題としてとらえようとしたフロイトを評価する。

 その一方で、集団を形成するのが「同一化」による情動的な紐帯であるとして、集団の成員相互のあいだに同質性を想定しているところに、実体的な集団観の残滓をかぎとる。

 ケルゼンがとくに気に入らないのは、フロイトが国家という集団をもそのようなとらえかたで理解しているふしがあることだ。

 そもそもケルゼンによれば、法とは(自然法とはちがって)いかなる道徳的な価値観によってもその内容を正当化されることなく、もっぱらその強制力だけをその実体としている。法にしたがうべきなのは、もっぱらそれが法であるという事実ゆえである(それゆえ、悪法もまた法なのだ)。

 そして個々の実定法に根拠をあたえているのは、法のヒエラルキーの最上位に位置する憲法であるが、憲法自体の根拠はといえば、それが法の最上位にあるという事実そのもの以外にはない。そうした無根拠性をケルゼンは「根本規範」と呼ぶ。

 いわばカントのいう「病理学的なもの」を「排除」し、「純粋」化された法。これこそケルゼンの主著のタイトルにもなっている「純粋法学」の謂いであり、そこにケルゼン法学のモダニティーがある。

 上山安敏も指摘するように、これはマッハに代表される当時のヨーロッパにおける実体概念(実体論)から関数概念(関係論)への知の一大パラダイム転換と並行的である。

 そしてケルゼンによれば、国家とはそのような強制力の行使を可能にする「諸規範のシステム」以上のものでも以下のものでもなく、そこに情動的紐帯という根拠を見出そうとしているフロイトは実体主義の誹りを免れないということになる。

 フロイトにあっては、国家はどうやら集団的な魂をもっているようである。
(ケルゼン「国家の概念と社会心理学」)

 当時の心理学において、「魂」とは、物理学における「力」と同様、典型的に実体主義的な観念であった。

 しかし、フロイトはじっさいには『集団心理学と自我の分析』において国家についてちょくせつ論じてはいない。バリバールが言うように、ケルゼンの批判は、じつは推測に基づくだけの一人相撲でしかない。

 だが、ケルゼンの批判は、ぎゃくにフロイトの政治思想の可能性を明るみに出している。

 ケルゼンの「根本規範」は、法律にはしたがわなければならないという人々の通念(意識)に依存しているが、それでは法にはなぜ人をしたがわせる力があるのか?

 バリバールによれば、法の強制力に内的な根拠を一切あたえないケルゼンがけっして問うことのなかったこの問いにフロイトはひとつの答えをあたえている。それが超自我という概念にほかならない。超自我の概念は「根本規範」なるものが基づいているあやうい「虚構的自足性」を暴き出す。

 フロイトが立てる問いは、この虚構的自足を破壊することをねらいとしている。「従属するとはどういうことか」、より正確には、「強制にしたがうと はどういうことか」、強制に抵抗する能力を内的に剥奪された状態で、強制に対して「抵抗することを放棄する」とはどういうことかを問い、このような放棄あ るいは剥奪がどのような「構造」に根ざしているのか、いかにそれが社会秩序の機能の前提となっているかを問うている。

 バリバールは、大胆にもケルゼンが法に帰す「強制」力を、フロイトにおける「強制=強迫(Zwang)」の観念に送り返す。

 強迫神経症、反復強迫などのキーコンセプトに根拠をあたえている Zwang という観念は、たとえば次のように定義される。

 臨床的に、主体[患者]が内的強制によって遂行を余儀なくされるような行動類型。思考、行動、防衛的操作、さらに複雑な一連の行動は、それを遂行しないと不安の昂進を来すような場合、強迫的と呼ばれる。
(ラプランシュ&ポンタリス『精神分析事典』みすず書房

 ところでフロイトの局所論は、心的装置を複数の審級からなるシステムと見なす点で、司法制度にもなぞらえるべきものである。事実、フロイトは超自 我を法廷のメタファーによってイメージしていた(「裁判官」、「われわれの心的機構の司法的審級」)。バリバールはこのメタファーの本質性を強調してい る。

 バリバールによれば、超自我は「強制=強迫」および「超(Über)」というフロイトにおけるふたつの重要な観念の結びつく一点である。

 超自我は読んで字の如く自我を超えているが、かつ自我の一部でもある。それゆえ、「心的法廷」(バリバール)においては、自我が裁く者であると同時に裁かれる者でもあるという逆説が支配している。

 さらにそこにおいて有罪を宣告される自我は、みずからが犯したとされる罪をけっして知ることができず(それは無意識的な罪悪感であるから)、それゆえ構造的にその罪をけっして償いきれない。それはまさに「カフカ的」な法廷である。

 ちなみに、不可能なこと(これをつきつめれば母親とのエディプス的な合一の実現)を命令する超自我のこのような「残酷さ」あるいは暴君性を「享楽せよ!」という絶妙な定式によって言い表したのはラカンであった。

 超自我の「残酷さ」を端的に示すものとして「自我とエス」に紹介されている有名な例として、身を苛む故知れぬ罪悪感から逃れたいと願うあまりにじっさいの犯罪に走ってしまう強迫神経症患者がいる。

 多くの、とくに若い犯罪者の場合、犯行のまえに存在した強い罪悪感を指摘することができる。すなわち、それは犯行の結果ではなく動機である。それ は、この無意識的罪悪感を、なにか現実的な手近なものごとにむすびつけることができれば、それで罪悪感が軽減されると感じているかのようである。
(『フロイト著作集6』人文書院

 これなどは上に引いた「強制=強迫」の典型的な事例といえよう。

 あるいは超自我は、メランコリーの患者にとって「死の欲動の純粋培養のようなもの」となり、患者を死に駆り立ててしまうこともある。

  ラカンが述べているように、超自我はふつうそうイメージされているような、両親が体現する厳格な道徳的な掟の体内化とは異なる。超自我は「法であると同時 に法の破壊である」(『フロイト技法論』)。超自我が禁ずるのは、欲望を抱くことそのものではなく、欲望の完全な満足(=享楽)である。いわば満足に至 ることがないとわかっている欲望をあえて刺激していたぶるところに超自我のサディスティックな本質がある。ナジオがいうように超自我は法そのものの具現と いうよりも、むしろ「フェイク semblant の法」であり、その本質をラディカルに誇張された法のパロディーであるといえるだろう。バリバールはそれを「逆説的で過剰な法的審級」と形容している。

 人が法にしたがうとき、人がじっさいにしたがっているのはかれの超自我であるといえるのではなかろうか……。

  フロイトが『トーテムとタブー』で思いえがいた原父殺しはすぐれて集団的な犯罪であった。この犯罪は、個々人の「心的法廷」において個人個人の責任に帰さ れるにいたる。ここにおいて人は法の「主体」(sujet。もちろん、ここには従属という意味あいを読みとるべきである)となる。こうしてバリバールは、 超自我の概念においてフーコー的な「自発的隷属」の契機を見てとる。

 しかし、フーコー以上にこの論文が負っているのはラカンであろう。 バリバールの論法から「カントとサド」を想起しないことはむずかしい。バリバールがカント(およびケルゼン)にひきつけて引いている「Sollen の厳格で残酷な特徴」というフロイトの一節などは、たしかラカンも引用していなかったかしら?