飯岡秀夫「フロイトの「人間論」-デーモンと自立」

http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun8-3/iioka.pdf

目 次
本稿の目標、焦点、テーマ -デーモンと自立-
第1章 「自然史的過程」と人間(心的人格)―
「外界」⇒「本能」⇒「心的人格」―
   1.「外界」という激流にもまれる木葉
   2.人間の流儀に応じた「生⇒ 死」の経路
   3.「生の本能」と「死の本能」の混合と解離
   4.「自由に動き得るエネルギー」の「拘束されたエネルギー」への転化
第2章「自我」と、「エス」及び「外界」
   1.「外界」対「内界」
   2.「エス」
   3.「自我」、その形成、その役割
   4.人間的「自我」の形成
第3章 「父親」殺し ―「高貴」なもの、「道徳的」なもの、「超個人的」なものの歴史的起源―
   1.「唯物史観」との別れ ―「自我理想・超自我」の役割―
   2.「父親」殺し ―トーテムとタブー
  3.「遺伝」によって受け継がれたある重大な出来事の沈澱
第4章 「超自我」 ―文化・伝統の担い手―
   1.「自我」による「抑圧」
   2.「理想自我(Idea1ich)」と「自我理想(Ichidea1)」
   3.「超自我」形成の二つの要因 ―生物学的要因と種族(系統)発生的要因―
   4.エディプス・コンプレクスとその解消
   5.「超自我」とその攻撃性
   6.「文化的過去」の担い手 ―「種族的素質」・「文化・伝統」の継承―
 
結び.「自我」の自立 ―三様のデーモン
 
 1920 年1月、スペイン風邪で突如娘ゾフィーを失った時、フロイトはその夫に、娘の生命を奪っ
た「運命の力」について、「より高い力が、無力で哀れなわれわれ人間を弄んでいるのです。」
2)と書き送っている。人間は何か「未知なもの」―「大いなる X」3)―に支配されて動かされている、
別言すれば、人間は「統御できない未知の力」によって生かされている。しかも人間は自分の内と
外から自分を翻弄する、この「デモニッシュな力〈デーモン〉」について理解することも、さらに、
そのような力が外だけではなく自分の内にも存在することにすら気づいていない。
 フロイトは人間をおそれおののく「不安」の主体ととらえた。人間を不安におとしめる元凶は、
かのわけのわからない「デモニッシュな力」であり、「不安」を感受するのは「心的人格」の主座
を占める「自我」である。
 「自我」は「外界」という「デモニッシュな力」に翻弄され、その「危険状況」のなかで不安に
おとしめられている。「自我」を不安におとしめるものは「外界」だけではない。「自我」はそもそ
もそのような力が自分の中にあることすら気づいていない「エス」によって翻弄され、その「危険
状況」のなかで内奥から不安を感じさせられている。しかし、「自我」にとっての最大の不安は「死
の不安」である。フロイトにあって「運命の力」・「デモニッシュな力」つまり「デーモン」の究極
の正体は「死の不安」を感じさせる力であるとされている。
 「死の不安は去勢の不安と類似のものと考えられ、自我が反応するその状況は、保護者である超自我―運
命の力―から見棄てられることであり、このためにあらゆる危険にたいする保障がなくなってしまうこと
である。」(参考文献[VII]、6、P.349)。
 「運命の力」・「デモニッシュな力」は現実的には「両親の力・神の力・運命の力」となってたち
あらわれ、さらにそれが、「超自我」となって、人間―「心的人格」―のなかに住みつくのだ。
 かくして「自我」は[外界]からの脅威、「エス」のリビドーからの脅威、「超自我」の厳格さか
らくる脅威という、三様の力(デーモン)に翻弄され、その結果、三様の脅威⇒危険に対応する、
三様の不安にさいなまれることになる。
 本稿の焦点はこの三様の不安にさいなまれながらも、なおかつ、かの「デモニッシュな力」にた
ちむかい、「自立」をかちとっていく「自我」のあり方にあてられている。